人は食べる為に生きる? 生きる為に食べる?
どちらにしても 食べる事は 絶対必要不可欠!!
今は食事というものが何を満たせてくれるのかしら・・・?
photo by YasuakiKagii
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そう思った時、さまざまな国籍の外食店や、スーパーに並ぶお弁当
多種多様なお惣菜。 見ているだけでよだれが出ちゃうようなパンや
ケーキの数々。 いつでも買えるこのご時世。
よく考えてみると、それらを満たしてくれるのは 「舌」や「満腹感」
だったりするのかしら・・・・・・
昔、沖縄の祖父が自宅で小さな自然食品店をしていたこと、
そして私の父が内科と皮膚科の医師である事、かなり身体の健康や
食事には気を使い、私は生まれた時から 玄米食で野菜や果物は
お庭の畑で採れたものを主に食べていました。
父は仕事が休みの日、摘んできたイチジクでジャムを作り、
おやつにぱんにぬって食べた記憶がある。
小学生の頃から料理に興味を持ち、遊びながらよく作っていましたが、
後始末が悪く、よく母に叱られていた。
時に、簡単に作れるレトルトグラタンなんかを買って来て 作ったことがありました。
お鍋に火をかけてみると、その粉末のルーの湯気が鼻に入って来た時、
不自然な・・・今まで私のデータにない匂いに違和感を感じ、一口食べた瞬間
口をゆすいだ事を思い出しました。
大人になって、外食の機会が増え、いつの間にか案外まずくないと感じた時、
「レトルトの質が良くなったの? それとも 私の味覚がおかしくナッタノ・・・・?」
と真剣に悩みました。
戦後、日本が食糧難に陥り、アメリカからは小麦で出来たパンや
栄養が豊富だと云われる牛乳がどんどん送り込まれ、
お米食がないがしろにされてきました。
日本人は古代から、お米や野菜を主に食べてきた民族で、
身体自体も日本の風土に合う体質を作り上げてきていたはず。
しかし、戦後の食事はそんな体質を変化させ、
たった60年の間に日本人の身体に大きな異変が、そして
今までなかった病名に もの凄いスピードで蝕まれているのです。
今では旬の物・国産の物に限らず、何でも、毎日でも口にする事ができます。
祖母の生活
島根に住むお祖母ちゃんは,美しい山々に囲まれた田舎の人ですが、
家の前には広大な畑があり、ずっと旬の野菜だけを食べてきました。
たくさん採れた物は、 漬物や保存食と姿を変え、違う季節でも身体に効く食材として
取り入れてきました。
魚は目の前にある大きな江の川で、うなぎ・あゆ・その他、丸ごと食べられる
魚を捕ってきてはごちそうになり、お肉はお祝いやハレの日だけのものだったようです。
そんな食事をしてきて、いまでは93歳。 病気一つありません。
都会から兄弟家族が帰り、毎日の食事はお肉や魚のオンパレードになっていると、
祖母は「体に良くない。」 と言って、少ししか口にしません。
体で感じるのです。 栄養を取りすぎるのは かえって体の毒であることを。
毎日畑仕事をしていたにも拘らず、シミ一つなく、余計なしわもありません。
汚れた空気もなく、体の酸化を促す要素がないということだと思うのです。
美しい江の川
(毎日海から帰ったら 体の塩を落としに また一泳ぎ)
旬の物を新鮮なままいただく。
一年通してバランスをとる。 これが自然体なのだ。
決して、今でよく云う 「一日30品目」なんてのは
まったく理解できないようです。
最近では、牛や鶏などの動物性食品の問題が増えてきています。
もっと少量に そして頂く事を大切に考えるなら、たくさんの動物達を無駄にせず、
健康体に育つはずなのですが・・・、人間の欲望たちは 自然界のオキテに反した今、
しっぺ返しをくらっているのかもしれない。
現代の栄養学は人の体を物質としてとらえているにすぎず、
本当ならば、命あるものに感謝する心の方が
はるかに凄い!! 栄養学だと私は 思っています。
TVや情報誌で、健康や食生活について取上げられているのを本当によく目にしますが、
注目度が高まり、関心が深まっている程、現代人の心や体が不安定だと
云っているような気がします。
そのわりには、病名も増え続け、医療費も上がり、何とも悪循環と感じるのは
私だけではないと思います。
「舌」だけではなく、「心」と「体」が喜ぶ食事を心がけたいものです。
もっとシンプルな食事。 シンプルな考え方で、
余分なものは省いていく。
今の日本も そうなっていけばいいのに・・・・
photo by M .Akagi
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